2.巫女セッちゃんと初交流②

つづきです。

巫女として生きていたなら名前があるはずだ、と思っていました。なのでまずはそこを尋ねてみました。

お名前はなんと言うのですか?


見えない世界では名前の概念がこちらと異なっているようで毎回名前を尋ねるということはしていないのですが、定期的に繋がる存在には名前を聞くようにしています。その際よくわからなければ呼びやすいように呼んでも構わないかを更に尋ねます。
正直なところこれは礼儀としてということではなく、個人的にその方が焦点を当てやすいからです。

セツ。


と浮かびました。
前回も書きました通り私は技術のレベルがまだ甘く、且つ浅いので、自分が感じたものを直ぐ様信用することができません。

セツって聞こえたのですが……、
あってますか?


と確認してみました。
聞こえたというよりは文字でぽわんと浮かんできたという感じでしたが、どちらにしろ私にとっては曖昧です。

また、以前から自分の中では過去生の巫女をそのまま「ミコさん」と呼んでいました。(ありがち?)
呼び掛けているわけではなく独り言の時の呼び名だったので深くは考えてなかったんですね。

ミコだからミッちゃんと呼んでいたりしました。
セツであればセッちゃんですよね。

初め、ミッちゃんと呼んでもいいかと聞いてみましたが直ぐに考え直しました。友人にリアルみっちゃんが存在しているからです。なんとなくややこしい。

“セッちゃん”というあだ名で呼んでも構いませんか?


その時、外で音が鳴りました。
なんの音なのかさっぱり覚えていないのですが、一度ポーンとかドーンみたいな音がしたのです。
私はそれをセッちゃんからの了承の合図であると捉えました。

その音に引き起こされるように目を開けて、初めての交流は終了です。
窓を開けていたのですっかり体が冷えてしまってましたが、すごく心地いい高揚感がありました。

ずっと巫女さんのことは気になっていたんです。
私が自分の巫女生について知ったのは今から5〜6年程度前のことですが、その当時は交流を試みて直ぐに辞めてしまっていました。今よりも繋がる技術が無かったので実感も得られず、やる意味が無いように感じられたのだと思います。

その後コンタクトを取ろうとする気もなく、ただ“自分は巫女生が強い”という認識だけがある状態で生活していました。

しかし、私の人生、そこを避けては通れないのではないか?と今の私は考えています。

影響が強い。
ということは、今の自分にとって何らかの必要性があってそうなっているということですよね。

洗濯が終われば洗濯機が音を鳴らして主張してくれるように、無視出来ないような影響が出ているのであればしっかりと対応するべきなのです。恐らく。

過去の解放なのかなんなのか。
答えはまだ自分にはわかりませんが、セッちゃんと初めて正面から向き合っていきたいです。

巫女のセッちゃん

私の過去生『巫女のセッちゃん』との交流の記録

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