先日セッちゃんと神さまを描いていただきました。
いかがでしょうか?可愛いですよね?可愛いですよねえ……。
描いてくださったのはイラストレーターのあかりさんです!この記事の下にあかりさんのInstagramのリンクを貼らせていただきますね。
初めセッちゃんだけをお願いしようかと思っていたのですが、なんとなく神さまも一緒にどうかと思い至って追加でお願いしてしまいました。
セッちゃんの顔は私にはよく見えないのでその点お伝えしたのですが、あかりさんが私の話を聞いてイメージで描いてくださいました。
それがびっくり。釣り目でキツネみたいな女の子のイメージがある、とあかりさんに言われたのですけど、なんと、私もセッちゃんを思い浮かべた時キツネが頭に浮かんできていたのです。
そのことはお伝えしていなかったのにドンピシャです。驚きました。
絵を描かれている方や曲を作られる方などは本人が思っていなくても神意を降ろしているようなもの(チャネリングと同じですね)、と言われると思うのですが、今回その工程を拝見させていただけたような気がします。
神さまについては私がこのようなイメージで、と描いてお送りさせていただきました。本来は長い髭があるのですが、お顔を覆っている紙があるので今回髭はカットさせてもらいました(笑)
紙に描かれてるマークについてなんですが、見たまま、上は太陽です。
これは私がラフとして描いた神さまです。
太陽の下、二本線があります。これを私は水平線だろうか、と思っていました。
それも間違いではなかったようです。
しかし、もっと意味の深いものでした。
この太陽の下半分は、月なのだそうです。
月が海の底にあり、太陽と対称の存在として在る。
それを知った時、なるほど。と思いました。
太陽と月。陰と陽。
巫女はその二つの次元を繋ぐ中庸の存在です。
ではなぜセッちゃんではなく、神さまがこの紙をお顔に?と思いますよね。
実は最初、セッちゃんの顔を紙で覆ってもらおうかと思っていたんです。お顔のイメージが無かったからですね。
ですが神さまを一緒に描いてもらおうと考えたとき、お顔を覆うのは神さまに担当してもらおうか、と考えが浮かびました。
特に意味があってそうしたんではなく、ただの思い付き。偶然です。
仕上がった絵をいただいた時に、座った神さまの肩に手を乗せているセッちゃんを見て、なんとなく理解できました。
普通に考えると、巫女が自身の仕える神さまの肩に手を乗せるなどということはあり得ないように感じます。
しかし以前記事に書きました通り、セッちゃんは私の巫女としての魂の一部という存在ですし(私自身も一部なんでしょうが…)、神さまも、実際に神社などにお住まいの存在ではないのでしょう。
つまり上下の関係ではない、ということになります。
そう考えれば神さまの肩に手を乗せる巫女、という構図もおかしくないですよね。
このブログはセッちゃんとの和解(?)を記録していくという目的で作ったものなので、メインはセッちゃんなのです。
神さまは「私は脇役だよ」と、そんな風に言いたかったのかもしれません。
そんなことは詳しくお伝えしていなかったのに(私もわかっていなかった)、自然とそのことが伝わる構図のイラストにしてくださったあかりさん、只者ではありません(笑)
やはり表現者とは、皆さんチャネラーなのですね。
本当に素敵な絵をありがとうございます!
最後にあかりさんのInstagramのリンクです。
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